Cape Cod

 少年の住む町には海がない。
  仕方のないことだ。町は平野をくねる川のかたわらに拓ひらかれ、海ははるかかなたにあるからだ。少年は地図を見ながら慎重に距離を測り、どの道を通っても海までは百キロメートルを超えることを知って、ひっそりと絶望する。
  しかし、このことを友人に話そうとはしない。あまり適当な話題ではないな、どことなくそう感じるからだ。
  学校の帰り、少年はときどき図書館に寄る。あるとき、あてどなくさまよう書架のさなかで、一冊の本を見つける。その名前に少年は驚き、運命的なものを感じ取りさえする。『海を見たことがなかった少年』。
  とはいえ、借り出してはみたが、よく分からない。短い小説であり、決して難しくもないが、まだ少年の心にはすっきりと入ってはこない物語だ。
  しかし、それでよかった。少年は幾度となくその本を借り出す。さほど読み返すでもなく、枕元に置く。これは、海に憧れる少年の物語にちがいない。いちど読んでいるにもかかわらず、少年のなかで物語は変容し、幾通りにも膨れあがる。

 むしろ少年は、音楽に夢中だ。図書館には埃をかぶった、ベークライトのLPレコードが半ば放置されており、そしてまた、父親はレコード・プレイヤーを大切に保存している。古い時代の古い音楽を、古い技術で、少年は飽きることなく聞く。
  タケミツトオルという名前を聞いたのは、どこでのことだっただろうか? 音楽の授業でのことであったに違いない。『鳥は星形の庭に降りる』という曲名の、奇妙な、そしてどこか詩的なイメージに幻惑されて、少年はレコードを漁る。
  とはいえタケミツの音楽も、よく分からない。しかし、それでよかった。『虹へ向かって、パルマ』『ノヴェンバー・ステップス』『そして、それが風であることを知った』『閉じた目』……タケミツトオルの曲名は、どれも抗しがたい魅力に溢れているからだ。
  中でも、『海へ』、この簡素な名前の曲に、少年はとりわけ心惹かれる。Toward the Sea と英訳が付されており、少年はひっそりと喜ぶ。
  To じゃなくて、Toward なんだぜ。一度、少年は友人に語ったことがある。行くんじゃなくて、向かって行くんだ。Toward なんだ。友人は首を傾げ、目を細め、ひとこと言ったものだ。どうしてお前、CDじゃなくて、レコードなんか聴いてんだ?
  それだけのことだった。もはや少年は誰にも告げることもなく、幾度もそのレコードを聴く。タケミツの晦渋な音楽の中でも、『海へ』だけは、少年にまっすぐに響く。『夜』、『白鯨(モービィ・ディック)』、『鱈岬(ケープ・コッド)』。各節に付された副題もまた、遠い海を暗示する。とりわけ曲の最後の部分、『鱈岬(ケープ・コッド)』の後半、アルト・フルートの囁くような低い音が変拍子で歌い出すところで、少年は言いようのない高揚に襲われる。
  To じゃないんだ、Toward なんだ。
  少年は、言葉には出さずに何度も繰り返す。

  誰も彼もがギターにあこがれる時期だ、夏が終わるころともなれば、アルバイトで稼いだ金で買った安物のエレキギターを、友人のひとりが見せびらかしにくる。なあ、かっこいいだろ。サティスファクションやジョニ・B・グッドのリフを得意げにかき鳴らしてみせる友人を、女の子たちはうっとりと見つめる。
  友人の姿を少年は遠巻きに眺める、俺ならあんな曲は弾かないよ、そればかりを考えながら。もっと静かで、もっと広くて、もっと遠くまで届く曲を弾きたいんだ。生まれてこのかた、一度たりともギターに触れたことがないにも関わらず、少年はそうかたくなに信じる。
  少年はこの町が嫌いだった。貧相にさびれ、田舎くさく、人間たちは怠惰で垢抜けない。誇るべきものなど、何一つないように感じられる。瀬戸内に面した坂の町や、幾条もの清流に抱かれた山村、あるいはマングローブを湿地に生い茂らせた南西の島がテレビに映るたび、少年は灼けるような羨望と嫉妬とを感じる。どうせ田舎ならば、どうしてこの町には、あんなふうに自慢になるようなものが一つもないんだろう。少年は切々と考え、それでいて、なにを誇るべきなのかは分からない。
  町の中央を貫流する川だけが、かろうじて少年を楽しませる。この一帯でいちばんの大河であり、そこにはささやかな雄渾と広大とがあるからだ。少年は学校からは一人で帰った。遠回りして、川端の道を下るからだ。自転車でたっぷり三十分はかかる道中だが、それでよかった。
  町の外れで川は大きく方向を変え、曲がり(ベンド)を作る。かつて、そこに小さな城が築かれていたはずだ。しかし、維新の動乱におよび、町の父祖はあまりにもあっけなく城を明け渡した。新しき権力に逆らうことも抗うこともなかった。そのあからさまな阿りが、少年には恥辱に感じられる。矜持なんかないんだ、この町の連中には。覚えたばかりの言葉で、少年はひっそりと憤る。何年か前、水道の工事に際して失われたはずの城郭の一部が出土したことを誇らしげに町の新聞は書き立てた、いかにも作り物めいた修復がなされて、今では公園になっている。
  少年は顔をしかめて公園のわきを走り抜ける。わざとらしい新名所に集う物好きな観光客やカップルを冷笑しながら。額ににじむ汗を拭い、いっそうペダルを漕ぎ、自分が川面を走る風の中に溶けて一体となり、同じ速さで走っていけばいい、そのことだけを願いながら。
 この川の流れ下る果てには、海があるはずだ。

  秋が深まった。大気が冷えた。帰路の途中で日は暮れきり、天に突き立った罅みたいな枯れ木が夜の中に溶けていった。
  少年は川端の道を自転車で走る。大気が肺腑を満たし、流れる汗をたちどころに乾かし、心臓をいくらでも動かす。それでよかった。もっと冷えきってしまえばいい、もっと澄み渡ってしまえばいい、もっと厳しく峻険な季節が待ちかまえていればいい。少年は、心の底からそう願う。
  自転車が曲がり(ベンド)のところにさしかかったとき、川面の向こうに、町の光りが煌々(キラキラ)と輝いているのが見える。寂れきった町が、これほどの光と熱とを持つものか。しゃくにさわったが、少年ですら、そう思わずにはいられない。
  思わず自転車を停め、川のせせらぎがすぐそこに聞こえる岸辺にまで近付いて町の光りを眺めたとき、少年は慄然として立ちずさむ。
  ここは、岬だ。
  川が曲がり(ベンド)を作るとき、その内側の陸地は、まるで広い水に突き出しているように見える。遠くの光りはまばゆく、こちらは暗い。静かに広がる黒い水に陸地は鋭く切り込んでゆき、その突端に自分は立っている。少年はそう感じて身震いする。
  ここは岬だ。俺の岬だ。
  少年の中で、幾たびも言葉が反響する。俺がここに、名前を付けてやる。このしなびた町の一角に、名前を付けてやる。ここは、鱈岬(ケープ・コッド)だ。ほかの誰も知らないだろう、ほかの誰にも教えないだろう。しかし、この陸地は、この瞬間から、俺だけが知っている名を持つのだ。
  少年は立ちつくす、秋の終わるころの冷えきった大気の中で息を弾ませ、目を潤ませる。これからも俺は幾度となくこの曲がり(ベンド)に立ち、俺だけが知っている名前を叫ぶだろう。そして、俺が大きくなってこの町を出て、幾たびも星が巡ってこの町の記憶などは遠くかなたにかすんでしまい、そしてまたそれから幾たびも星が巡って不意に俺がまたこの町に立ち寄ったときに、俺は密やかな誇りを持って、この岬に立つだろう。俺が名付けた、この、鱈岬(ケープ・コッド)に。
  晩秋の寒気の中、少年は、幾度となくそう繰り返す。








2007/6/30 太宰治賞受賞後に執筆。私家版の冊子にして、内輪の祝賀会で配りました。